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味覚の和


 フランス料理は繊細な味覚が発達していないとその食文化の粋を堪能することは難しい。またフランス料理はワインからデザートに至る一連の味の変化も多様で非常に複雑で幅広い総合食文化といえよう。この食文化は味覚だけではなく視覚、嗅覚、触覚、そして場合によっては知覚をも総動員して美味を追求している。
 他方、日本料理(和食)はフランス料理とは全くことなる食文化の中で淘汰された日本文化の華であり、そこにも視覚、嗅覚、触覚、知覚、そして聴覚をも取り込んだ美味の成果が見られる。フランス料理と同様、料理そのものだけではなく飲み物や食器、調理器具、更には生け花などの食事の場所の雰囲気をも含めた総合食文化を形作っている。

 世界にはフランス料理や日本料理だけではなく地域地域でそれぞれに特色のある優れた食文化が多く見受けられるが、それを味わうために要求されるヒトの味覚という視点から説明がしやすいため、この二つの料理を引き合いに出して話を進める。

 日本人もフランス料理の味を十二分に堪能することができる。このことは日本人にも一流のフランス料理のシェフやパティシエやソムリエがいることからも間違いない。
 逆にフランス人も日本料理の寿司や天ぷらなど至極の料理を日本人の感性と矛盾を生じることなく味わうことができている。フランスに進出している一流の日本料理店がフランス人でにぎわっていることからも推測できる。

 しかし、これは当たり前のことなのであろうか?
 すなわち、日本人もフランス人も異なった食文化に育まれた異なる料理を全く同じように味わうことができる、ということが当たり前なのであろうか?
 同じ人間だから当然だ、と言えるのであろうか。

 日本人もフランス人もともにヒトであるのは事実であるが、それには非常に長い異なった歴史を踏まえている。
 現在のヒト(ホモ・サピエンス)はアフリカで誕生し、少なくとも今から10万年前と6万年前の二回にわたってアフリカを出てユーラシア大陸(現在のアジア・ヨーロッパを合わせた大陸)に進出した。この時には既に、約80万年前にホモ・サピエンスの祖先から分岐した別のヒト属の末裔であるネアンデルタール人やデニソワ人など旧人類がユーラシア大陸に住んでいた。
 10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスはその後絶滅した可能性があるが、少なくとも6万年前に出たグループはユーラシア大陸に広がっていった。その過程で中央アジアからヨーロッパに居住していたネアンデルタール人や中央アジア・シベリアから東南アジアに広がっていたデニソワ人との接触も生じたと思われ、アフリカに留まって現在のアフリカ人となったヒトを除いて、ユーラシア大陸とアメリカ大陸に居住域を広げた現存人類ヒトにはネアンデルタール人などの旧人類のDNAも混入されている。

 日本人の源流となった人々は遅くとも3万数千年前には南や北から日本に到着して居住するようになり(縄文人の祖先)、その後3000年程前から大陸から朝鮮半島などを経由して渡来系弥生人が日本に流入し、縄文人との混血化が徐々に進み現日本人が成立していった。したがって日本人は日本列島において数千年から数万年かけて独自の進化をして現在に至っている。
 一方、フランス人の祖先も2万数千年前に滅んだネアンデルタール人と少なくとも数千年以上、場合によっては数万年の間ヨーロッパ地域で共存していた時期も経て、アフリカ脱出から数万年のヒト進化の歴史を背負って現在に至っている。
 以上のように、日本人もフランス人もヒトとして数万年の時間経過を経てそれぞれの民族形成の時の流れの中で独自の文化を形成してきた。

 とすれば、味覚に関しても独自の特徴を持ったものに変化する時間は十分にあったはずである。居住していた自然環境も大きく異なり、食物も異なるものが大半を占めていたと思われる。したがって現在の日本人とフランス人の味覚が大きく異なっていても全く不思議ではない。
 外形的には肌の色も眼の色も髪の毛も異なりひと目で区別がつけることができ、話す言葉もその発音も似たところがなく、DNAも違うパターンを持っている。
 味覚についても五味の感じ方が両者で大きく異なっていてもよさそうに思える。

 しかし、実際にはそれぞれの大きく異なる料理を相互に十分に味わえる。両者の味覚に大きな違いはないように思える。長い食文化の違いがあっても、その味を感じる感覚である味覚は共通の感覚を持っているといってもよいのではないか。

 ところで、味覚は舌で感じているが、この味覚には、苦味・甘味・塩味・酸味・うま味の五つの基本的な味(五味)を感じる能力がある。舌には約一万個の味蕾(みらい)とよばれる微小な器官があり、ここには味覚受容体とよばれる味覚を感じるタンパク質がある。苦味には苦味受容体、甘味には甘味受容体というようにそれぞれの基本味を感じる受容体がその機能を果たしている。
 不思議なことに、苦味受容体以外の受容体はヒトには1種類しかないが、苦味のみは少なくとも25種類ある。苦味受容体は苦味を感じるという働きだけではなく、ヒトの体に害を及ぼすさまざまな毒性化学物質や病原菌や刺激物質を認識する能力があり、この能力を果たすために苦味受容体の種類も多くなっている。
 因みに、苦味受容体と甘味受容体は舌だけではなく、呼吸器系、循環器系、消化器系など体全体にわたって分布しており、味覚を感じる以外の機能をも合わせ持っていることが判明している。
 更に、苦味受容体に関しては人によってかなりの差がある。例えば、白色人種の約30%は一部の苦味受容体は特定の苦味を感じない非感受性となっており、また、白色人種の約20%はその同じ苦味を特に強く感じる(非常に苦く感じる超味覚者)となっている。
 つまり、苦味受容体の種類が多いが故に五味の中で苦味に関しては、人によってその感じ方が異なる(遺伝子を持っている)ということである。
 幸いにも、苦味物質である茶などに含まれるカテキン、コーヒーなどに含まれるカフェインやクロロゲン酸などを感知する苦味受容体については上述の非感受・超味覚の苦味受容体とは異なる苦味受容体で認識されているので、人によって大きな味覚差はないと思われる。
 話が少し厳密になりすぎたが食物の味覚に関しては、苦味以外は人種とか民族による差は無い、また、苦味についても大差は無いと言って構わないということである。

 尚、五味には含まれないが辛味という味覚もある。辛味は味覚受容体ではなく、口腔粘膜などに広く分布する知覚細胞にある温度受容体などで味としてではなく熱や化学的な痛みとして感じ取っている。

 味覚は、人類学的には「ヒト」、文化的には「人」、総合的には「人間」にとって生存に不可欠な基本的な感覚となっているがゆえに、当に人類共有の感覚となって存続し進化し現在に至っていると言えよう。

 味覚が人類共有のものであり同じ料理を同じ感覚で味わうことができるのであれば、味わいに影響を与える視覚など他の感覚も、味覚による味の違いに大きな影響を与えるほどの違いがないことも類推できる。

 「人は人種が異なっても味覚は共通している」、この事実は実に貴重であると思う。

 国の首脳が外国政府に招かれれば、必ずその日程に共に食事を楽しむ晩餐会が催される。国は異なっても食を味わい楽しむことができるからである。食事を共にし料理を味わうことができることが、国を超えてお互いに少なくともひとつは共通の基盤に立っていることを再認識できる場となるからだ。
 これは国だけではなくビジネスにおいても同様で、いっしょに食事をすることによってお互いの親睦を深め交流を図ることができる。
 家族や親族においても交流を深めるのは共に同じ料理を食べる食事のひと時であろう。
 人に共有の味覚があるおかげでいっしょに食事を楽しむことができる。

 日本食を和食とも言うが、いっしょに食事をするという意味での「和食」も大事にしたい。

 もし、世界の人々が国や地域を超えて世界統一が実現できるとすれば、「和食」はその鍵を握っていると思われる。

[参照文献など]
 KOzのエッセイ#036「日本人の源流」
「DNAで語る 日本人の起源論」篠田謙一著(岩波書店)2015年
「ネアンデルタール人」他 Wikipedia以下項目を参照。
 デニソワ人、ソムリエ、料理人、味蕾、苦味
「この6万年でヒトの進化は急激に加速していた!」矢原徹一著(JB PRESS) 2016.4.2
「体を守る苦味受容体」Robert J. Lee/Noam A. Cohen共著(日経サイエンス 2016.05号)