068_トリフィド時代068_宇宙士官学校
SF評論


 私がSFを読み始めたのは小学校の時であった。
 父から買ってもらったジュール・ベルヌの「海底二万里」(岩波少年文庫)や、学校の図書館にあった「ドリトル先生アフリカゆき」から始まるヒュー・ロフティングの初訳本7巻(岩波少年文庫)を貪るように読んだ。SFのジャンルに入るかどうかは微妙だが、著者がジュール・ベルヌとなっているだけの理由で、父の蔵書にあった「八十日間世界一周」(角川文庫)や「十五少年漂流記」なども夢中になって読んだのもこの時期であった。

 SFを本格的に読み始めたのは浪人時代であった。18歳の時であった。神田の予備校に通っている時にそばの本屋街で何気なく買ったのがジョン・ウィンダムの「トリフィド時代」(創元推理文庫)であった。3本足を持つ植物が群れをなして歩く光景が夢の中にも現れるほどの衝撃であった。これが小学校の頃のジュール・ベルヌを思い起こし、SFを毎年数十冊以上読み始める契機となった。
 以来、大学時代そして会社員になってからも外出するときは必ず創元SF文庫やハヤカワ文庫SFなどが手元にあった。そして電車に乗っているときは楽しい読書の時間となった。会社員となってからは昼休みには本屋めぐりをすることが多くなり都度SF文庫本を数冊買うこととなった。海外出張の時には十分な冊数のSFをバッグに入れないと不安であり、どうしても少ないときは成田空港の書店で補ってから旅立った。小松左京とか星新一などの日本人作家のSFも読むことはあったがどうもSF本来のおもしろさが欠けているようにも思え、どうしても欧米のSFが中心となっていた。
 しかしながら、毎日1冊のペースで読み込んでいくため、ハヤカワ文庫SFなどの海外SF作家の翻訳本はほとんど読み尽くし新刊の出版も間に合わなくなり、やむ無くハヤカワ文庫JA(Japanese Author)やSFに近い推理小説や超能力小説にまで手を伸ばし始めた。

 SF以外の歴史小説や探偵小説、ノンフィクション小説は読み終わると人にあげたり最終的には処分してしまうが、SFと私独自の見解でSFのジャンルに入ると思った本は手放すことができず、家を新築した時に屋根裏3階の壁に組み付けた専用の書棚に入れて保管している。現状は、既に3000冊を優に超えるSFがこの本棚に収まっており、空きスペースもなくなりつつある。ほとんどの本が発刊されると同時に購入していることもあって初版本が多い。

 私のSF読書歴を簡単に紹介したが、本格的に読み始めてから50年近くなり、それなりの量のSFを読んできたわけであり、SF映画も日本で目にすることができるものはほぼ全て見ていると思えるし、この辺りで一度SF全般の評論をしても傲慢・僭越なこととはならないのではないかと自負している。

 SF、サイエンス・フィクション、は日常的もしくは非日常的な舞台設定において、科学的な合理性もしくは合理性があると思わせる仕掛けを組み込んで、ストーリーを組み立てる小説であるが、それゆえに小説を構築する上での制約と非制約の範囲が非常に広い。そのためSFのジャンルは非常に多く、純文学的な小説のようなものから想像を絶するような時空間を舞台とするようなものまでさまざまなものが描かれることになる。どんなジャンルであれ舞台設定であれ、一流のSF作家の思考と筆力にかかると素晴らしい物語が誕生する。

 SFは読んで、その世界に没頭できてしまうことが、最大のおもしろさであると思う。これは他の小説でも同様かもしれないが、SFの場合は非日常的な世界や現象が違和感なく合理的にかつ科学的に説明され現実的であると読者の頭の隅まで納得させることができないとSFではなくなってしまう。これがファンタジーとの大きな違いであろう。ファンタジーは現実的ではないという仮想の世界であることで一向に構わない。
 SFで求められる現実感はそれゆえに、SFで登場した科学技術がその後年月を経て実際に実現化されることも多いのもうなずける。SF作家は科学の素養も求められる所以でもある。

 SFの世界は、テーマによっては単編で終わってしまうものも多いが、その舞台設定が大きくなるほど長編化・シリーズ化する傾向にある。最大の舞台はやはり宇宙であり、さまざまなスペースオペラと言われるSFが誕生した。しかしながら活動の舞台が単に宇宙というだけでは日常の生活や地球上で起きている出来事が宇宙という大空間で行われるというだけであり、本来のSFの楽しさを満喫できるSFとはならない。
 宇宙は未だ人類が知らないことばかりであり、日常的に経験していることとは桁違いに異なる未知の世界が広がっているはずであり、この極めて非日常的な宇宙の非現実的とも思える大舞台を読者の手元に引き寄せることができれば、それは非常に雄大なSF世界の構築となる。そしてそれは短編では困難であり、おそらく必然的に長編化することになろう。

 私が読んできたSFの中にはこのような大舞台が設定され、読み休むのも惜しんで一気に読み通してしまうような実に面白いSFが多数ある。
 アイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」、オースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」、デイヴィッド・ブリンの「知性化戦争」、ジャック・キャンベルの「彷徨える艦隊」、等など枚挙にいとまがない。
 ティモシイ・ザーンの「スター・ウォーズ」シリーズも映画化されたSFの中では大きな舞台設定がなされているが、ガース・ニクスの「銀河帝国を継ぐ者」に比べると壮大さにおいて見劣りしてしまう。

 このような百家争鳴のSF作家達の中で、私が特に注目しているSF・SF作家をここに紹介したい。私のSF評論の集約と思っていただいて結構である。
 それは日本人の作家である鷹見一幸(たかみかずゆき)の「宇宙士官学校」シリーズ(ハヤカワ文庫JA)である。これは稀に見る傑作であると思う。
 このSFは、21世紀初頭に異星人が来訪し人類がひとつの種であることを自覚するところからスタートする。未熟な進化段階にある地球人類の全生存と、人類が誕生するはるか以前から無数種の知性体を擁する大宇宙の中で圧倒的な存在となった超進化知性体との関わりのドラマである。
 私が初めてこのシリーズに出会ったとき、鷹見一幸という世界的に見ても超一流の日本人SF作家がいたことに驚いた。
 この本は未だ海外で翻訳されていないようであるが、将来翻訳された時には必ずや世界のSF界で大反響を呼び起こすのではないかと信じている。

 SF「ペリー・ローダン」シリーズが世界最長小説であることをKOzのエッセイ#026で紹介したが、最高に面白い小説もやはりSFではないかと思っている次第である。

[参考文献など]
 KOzのエッセイ#026「世界最長小説」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュール・ヴェルヌ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ドリトル先生シリーズ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ドリトル先生物語全集
 http://takazaka-enokino.blog.so-net.ne.jp
他。