064_日本文化の花
東日本対震災と日本人の精神土壌


 2011年3月11日午後2時46分頃に宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の世界最大級の大地震が発生した。東日本の太平洋地域をを襲った最大波高20m超、最大遡上高40mといわれる巨大津波により3万人近い人々が犠牲となった。東日本大震災である。

 無数の家屋が倒壊や流失し、交通が遮断され、電気・水道・ガス・下水・通信などのライフラインも広域で崩壊した。東京電力の福島第1原子力発電所の1号機と3号機で水素爆発が発生し、1~3号機は燃料棒のメルトダウンが発生し圧力容器に穴が開き、最後の放射能遮蔽部である格納容器にも一部損傷が発生した。この原発事故により広範囲に放射能汚染が広がり多数の住民が退去させられた。地震、津波、二次災害により被災地域では混乱を極めた。

 この大地震の発生と被害状況は、発生直後からあらゆるメディアを通じて全世界に流された。各国の報道機関駐在員からのニュース報道だけではなく、Twitter、Facebook、YouTubeなどのソーシャルメディアが、更には個人のメールやブログや電話やSkypeなどを通じて、さまざまな情報が大量に間断なく海外に向けて発信された。

 大震災の報道は世界中の人々を日本からの衝撃的な生々しい報道に釘付けにさせ、そしてその災害の規模に驚くと共に、徐々にある共通の大きな驚きと強烈な感動をもたらしていった。それは、大震災直後に日本人が見せた冷静で公共秩序を保ち他人を気遣う姿であった。

 大災害が発生すると集団パニックが起こり、略奪や暴動、更には殺人までが連鎖反応的に起こる。このため政府は非常事態宣言を発令し、暴動鎮圧と治安回復のために軍隊を派遣する。これが世界中のいたる所でごく普通に見られる現象となっている。東日本大震災を大幅に上回る死者を出したハイチや中国四川省の大地震のみならず、南米チリでの大地震、米国ニューオリンズでの巨大ハリケーンによる大災害の時もこの「常識」通りの事が起きた。

 ところがこの常識が日本では起きなかった。それどころか、厳しい状況にも関わらず被災地の人々があたり前の様にお互いを助け合っている姿が、無数のチャネルを通じて刻々と世界に伝えられた。
 公衆電話や食事の配給に数十人が整然と根気よく並んで待つ姿、窮地に立った外国人を自らの家族が行方不明にも関わらず温かく助けた行為、二つの巨大組織暴力団が震災後直ちにトラック十数台の救援物資を被災地に運び込み名前も告げずに去った行動、自衛隊は暴動鎮圧ではなく被災者救助のために派遣された事実、原発暴走抑止のために被曝覚悟で闘った現場作業員や消防士の姿、東京での震災当日の深夜の車の大渋滞発生にも関わらず誰もクラクションをならさない静けさ、等々、このような日本人の行動は海外の人達にはにわかには信じられないことであり、不可解さと感銘と尊敬と同情心とがごちゃ混ぜになった複雑な心境でのショックを与えた。
 日本人の冷静な行動は、直接の被災者だけではなく、停電や公共機関の機能停止による二次被災者、報道機関、政府報道官等々、日本国民全体に共通してみられた本質的な行為であったがゆえに、極めて大きなインバクトを全世界に与えることになった。

 このような日本人の国民性が伝わるにつれ、日本人に対する見方が極めて温かいものに変わり、普段は日本批判に徹しているはずの中国国営の新華通信社や、数多くの中国地方紙でも日本人を見直し尊敬する記事が掲載されるほど大きな反響を呼び起こした。  
 前代未聞の規模となる135か国を超える海外から送られた義援金の背景には、このような温かい気持ちの盛り上がりがあったと伝えられている。

  なぜ日本では暴動も略奪も起きなかったのであろうか?
 大災害から数日もすると海外からはさまざまな意見や評論が伝わってきた。オーストラリアからは「日本文化は伝統的なキリスト教に基づいた文化ではないと思う」「おそらく日本文化は忠誠心や共同意識によって支えられているのだと思う」、米国からは「日本文化によるもので、普段から礼儀正しさを心がけているからだ」「日本の社会構造によるものではないか」「最悪の状況下でも他人を気遣うマナーを持ち合わせている」「日本人に備わった静かな強さについて学びたい」、韓国からは「やっぱり日本だ、わが国とは天地雲泥の差、泣きわめいて誰かのせいにして修羅場となるが、日本は秩序を保っている」、台湾からは「家を失った被災者はおにぎりと味噌汁を食べるだけで深くお辞儀し食べ物をありがたみに感謝している」、中国からは「落ち着いて秩序を守る日本国民の強靭さは鮮明だ」「人に迷惑をかけないことを常識とする日本人の特質に注目する」、アルゼンチンからは「『我慢』と『仕方がない』のふたつの言葉を胸に耐えている」、等々。

 いずにも共通しているのは、
 ① 日本人には国民性として深く根付いている共有意識がある。
 ② それは、自分だけが良ければ良いというエゴイズムではなく自分は他の人
   と共に生きているという社会共同体意識である。
 ③ 自分が受けた不幸や被害を、短絡的に自分以外の自然や他人に責任転嫁は
   しない。
 ④ 感情と理性のバランスがとれている。
 ⑤ 自分が苦しいときでも他人を思いやる気持ちがはたらいている。
ということを鋭く見抜いていることであろう。

 では更に問うとすれば、「なぜこのような日本人の国民性、これは日本文化にまで昇華されていると思われるが、が醸養されてきたのか?」という大きな疑問であろう。
 この疑問は裏返して言い換えると、日本は他の世界と何が本質的に異なっていたのか、という疑問となる。
 それは日本人が単一民族だから、というのは回答ではない。日本は自然災害の多い島国だから、というのも回答ではない。日本は世界で唯一の原爆被曝国であり戦争を放棄した平和憲法国家であるから、というのもその回答とはなりえない。2000年近く存続している天皇家が国民意識の中心にあるから、というのも回答とはいえない。日本列島の中で長い時間をかけて強化されてきた日本人のDNAによるものである、というのも全てを説明できる回答とはならない。

 私は、日本が世界で唯一の大乗仏教が流布している国である、という事実がその答えではないかと思っている。

 日本には世界で最も宗教法人の多い国であり、大乗仏教以外の宗教も数多くあるのは事実であるが、世界で最も普及しているキリスト教やイスラム教などの世界的宗教は日本ではマイノリティーであり、神道も国策として強要した過去の時とは異なり現在では二次的な宗教となっている。
 仏教は現在18宗の系譜に分類されているようであるがこれらは全て大乗仏教系であり小乗仏教は含まれていない。仏教寺院も全国で7万5千寺以上があり世界的に見ても異例の建立密度となっている。
 日本に仏教が伝来して15世紀が経過し、小乗仏教は淘汰されており、宗派は多岐に分かれていても大乗仏教が日本における仏教の主体となり、新興宗教すらもそのほとんどが大乗仏教の影響を受けた教義となり題目(南妙法蓮華経)を唱えるのが主流となっている現状をみれば、日本は大乗仏教が流布している国である、と言っても過言ではないと思う。

 大乗仏教は、一神教であるキリスト教やイスラム教のように自分の存在、状態、行動が全て神に起因するという極論すれば自分には責任はないという思想と大きく異なり、自分と社会、自分と他人、自分と環境との相互関係を重視する中で自分の存在、状態、行動を見つめていくことに重きを置いている宗教である。小乗仏教のように戒律で何々をしてはいけないというように行為行動の制限をもって人を律する宗教とも異なっている。

 もし、大乗仏教の影響が意識・無意識を問わず日本人の行動に影響を与えていると仮定して、東日本大震災のときの日本人の行動を見るのであれば、なぜ暴動や略奪が起きなかったのか、ようやく納得のいく回答となっていることに気付くのではなかろうか。
 私は、大乗仏教が広く日本人の精神構造に浸み込み、日本の和の文化の土壌となっているすがたを見るにつれ、1400年前に聖徳太子(厩戸皇子)が主導した仏教興隆の英断に感謝をしているひとりである。

[参考文献]
「東日本大震災 朝日新聞縮刷版2011.3.1~4.12」朝日新聞社
他。