045_露の景色3
心の実相 (3) 十如是


 十如是(じゅうにょぜ)は、十界・十界互具の姿を以てダイナミックに変化する主体である心が存在しうる背景には宇宙森羅万象に普遍する真理があり、それ故に心の変化には厳然たる因果律が働いている、ということを示している。
 因みに、如是とは事物・事象のありのままの姿という意義である。

 この十如是は、十界互具と同様に、法華経で説かれる原理で、法華経(妙法蓮華経方便品第二)の中にある次の一節が出処となっている。
 「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」

 十如是の内、如是相から如是体までを三如是、如是力から如是本末究竟等までを七如是として立て分けて説明する。

 まず三如是は、三諦(さんたい)(空諦(くうたい)・仮諦(けたい)・中諦(ちゅうたい))によって、心が存在している我が身の実像と、心と我が身が存在している背景を明らかにしている。

 三如是を理解するために、ここで三諦の概念について簡単に補足説明をしておきたい。

 三諦とは空観、仮観、中観という三つの視点から分析しそれを統合することにより、全ての存在の真の姿を明らかにする仏法の真理観であり、また全ての存在に普遍的に三諦が備わっていることから三諦を仏法の真理としている。
 例えば、光が粒子(物質)か波(エネルギー)かの二律背反思想に基づく科学・哲学界の論争は人類史2000年以上にわたったが、仏法の三諦により光を観ると、(1)常在不変を否定する無常観に基きあらゆる存在の実体は無いとする空諦として観ることより、光を波ととらえる、(2)因・縁により仮りに和合している姿を仮諦として観ることより、光を粒子ととらえる、(3)空諦にも仮諦にも偏しないところに真の実相があるとする中諦(中道とも言う)として観ることにより、光は波と粒子の両面を備えている実在ととらえることができる。
 尚、法華経ではこの三諦は各別ではなく、中諦を基軸にして融合一体であるとしている(円融の三諦と言う)。この法華経の三諦に則して捉えると、光は、ある時は粒子として観え、ある時は波として観え、状況によりそのどちらの姿をも現じうるのが光の実態である、と認識できる。
 今では常識になったこの光の捉え方は、20世紀になってアインシュタインにより「物質=エネルギー」という原理が発見されようやく長い論争に決着がついた経緯がある。
 最新の物理学の成果によると、この物資とエネルギーの論争は、粒子と場を統合して捉える場の量子論に進化しており、場も粒子もどちらも宇宙の基本構造ではないことが明らかになってきている。
 法華経の智恵の凝縮ともいえる円融の三諦論は、最新の科学をもリードする卓越した宇宙認識論と思える。
 なお、三諦は全ての存在に普遍できる認識論であるが、特に、仏の徳性について三諦を当てはめた場合には(中諦・空諦・仮諦に相対応して)三徳(法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ))と言い、仏の徳用(とくゆう)については同様に三身(さんじん)(法身如来・報身如来・応身如来)と別称している。

 ① 如是相(にょぜそう)
    仮諦に該当している。
    我が身の心体を言い、心の働く場としての肉体を
    示す。
 ② 如是性(にょぜしょう)
    空諦に該当している。
    我が身の心性を言い、心の精神的な活動を示す。
 ③ 如是体(にょぜたい)
    中諦に該当している。
    我が身の己心を言い、心体と心性が一体となった全体
    を示す。

 この三如是は、心が存在している実体である我が身が、肉体と精神活動とが共に備わっている統一体であることを示している。また、三諦によりそれを示していることは、我が身が存在している宇宙(仏法では十方法界と呼んでいる)と同一の存在原理が働いており、宇宙自体に三諦があるが故に我が身にも三諦が備わっていることを説いている。
 更に深く論ずると、心に宇宙の法則(一切法)が収まっており、三如是が備わった心が無ければ宇宙(の法則)は認識できないということに帰結する。

 次に七如是は、心が存在し(十界)変化する(十界互具)ときに働いている因果律を明らかにしている。心の因果のプロセスと言い換えることができよう。

 ④ 如是力(にょぜりき)
    我が身に内在する力を言う。
 ⑤ 如是作(にょぜさ)
    我が身に内在する力が作用することを言う。
 ⑥ 如是因(にょぜいん)
    心性に起因する直接の原因を言う。
 ⑦ 如是縁(にょぜえん)
    因から果を生じるときの外界環境・間接助縁を言う。
 ⑧ 如是果(にょぜか)
    因と縁が和合して生じた結果を言う。
 ⑨ 如是報(にょぜほう)
    果によって受ける何らかの報いを言う。
 ⑩ 如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)
    ①如是相(本)と⑨如是報(末)が究竟して等しい
    ことを言う。
    深化して述べると、三如是(本)と七如是(末)が
    共に心の実態であり諸法の実相でもあることより、
    究極すると同一の法則であることを示している。

 これらの七如是は、一瞬の内に心が変化するときに常にこれらの一連の連鎖が生じており、この連鎖が次の連鎖へと繋がっていくことを示している。
 三如是によって示された心が三諦に則した存在であることにより、心も宇宙の法則である因果律に則って変化することを、この七如是が示している。

 蛇足ではあるが、因果もしくは因縁は、力作因縁果報等を略したものと考えておけば本質にせまる言葉使いとなるのではないか。

 以上で、三如是+七如是=十如是 の説明としたい。

[参考文献など]
 KOzのエッセイ#043 「心の実相 (1) 十界」
 KOzのエッセイ#044 「心の実相 (2) 十界互具」
「平成新編 日蓮大聖人御書」(大石寺版)戒体即身成仏義、十如是事、
  三世諸仏総勘文教相廃立、他
「新編 妙法蓮華経並開結」(大石寺版)
「実在の本質 場の量子論は何を語るか」Meinard Kuhlmann著(日経サイエンス 2014.02号)
 他。