042_原生林
ヒトの細胞と共生細菌


 マイクロバイオームという言葉がある。これは人体には自身の細胞の10倍もの数の細菌が存在しており複雑な生態系を構築している姿をマイクロバイオームと呼んでいる。

 ちなみにヒトの細胞数は約60兆個といわれている。これは人体1kg当り約1兆個の細胞が集まっていることになる。これらの細胞の寿命はさまざまで、最も寿命が短い腸管粘膜細胞は1~2日で、最も寿命が長いのが脳細胞で生涯にわたる。細胞で一番多い赤血球の寿命は約120日といわれる。細胞全体としては平均すると2週間位の寿命となる。約60兆個の細胞の平均寿命が2週間ということは、言い換えれば毎秒約5000万個の細胞が生まれ変わっていることになる。
 ヒトの細胞の数はひとつの小宇宙とも呼べる程に膨大なものではあるが、更に驚くことは、このヒトの口や鼻の粘膜、胃や腸、皮膚や膣などには、このヒトの細胞数の10倍ともなる約1000兆個の細菌(常在菌)が生息していることである。
 子宮内には通常、細菌がいないので、新生児は無菌であるが産道をくぐり抜ける際に、母親の共生微生物(細菌)が体について増え始める。その後、授乳や家族など外界との接触を通して多種の細菌が取り込まれ急速に増殖する。

 マイクロバイオームに含まれる微生物(細菌)はヒトの体(心身)の維持や活動に深く関わっており、善玉菌も悪玉菌も混じっているがそれぞれが単純に善玉、悪玉と決めつけ難い複雑な関係を維持しながら、体と共生菌の複合社会を構成している。
 例えば、胃に生息するピロリ菌は、胃酸を制御する働き以外にも食欲に関わるグレリンとレプチンという二つのホルモンを作る働きもしている。グレリンは空腹感を伝え、レプチンは満腹感を体に伝える。このため胃潰瘍や胃ガンの原因ともいわれたピロリ菌を抗生物質で除去した人は体重が増えるといわれている。また、ピロリ菌がなくなると逆流性食道炎を起こしやすくなる弊害も出てくる。
 また、肺炎連鎖球菌は通常人の鼻腔におとなしく住みついているが、身体がインフルエンザウイルスに応答して体温を上げ、ノルアドレナリンなどのストレスホルモンを放出すると遺伝子のパターンが変化して呼吸器細胞に致命的な影響を与える。
 このように体内・体表に生息する細菌は、人の健康や病気に間接・直接に心身にわたって複雑に関わっている。ヒトの遺伝子の数は2万~2万5千といわれるが、マイクロバイオーム全体ではその数が約330万となる。これから見ても共生細菌のヒトの体に対する影響力が甚大であることが想像できよう。

 ヒトの細胞と体に生息する細菌は区別できる。ヒトの細胞にはヒトのDNA(遺伝子の構成要素)が内蔵されており共生細菌はヒトとは異なるDNAを持っている。顕微鏡でその共存状態を確認すれば、それぞれの個体も区別・識別できる。
 しかし機能的には、ヒトの細胞も共生細菌も極めて密接な関係が実在しており、機能的には完全に区別することは難しく現実的ではない。
 例えば、赤血球は体内にありヒトのDNAを持っており間違い無くヒトの細胞であり、機能的にも人体の維持に深く関わっている。この赤血球は微細なピンセットで摘むことができ、個体として独立した細胞でもある。
 共生細菌(例えば、ピロリ菌)は機能面でこの赤血球とどう異なるのであろうか?ピロリ菌は胃粘膜の外側に付着しているが赤血球は内側にいる。場所は多少異なれども人体の維持にそれぞれ関係している。ピロリ菌はヒトの一部なのであろうか、それともヒトの外界なのか?
 赤血球とピロリ菌をヒト細胞と共生細菌の例として述べたが、個体としては別、人体の維持という機能面では共通、といえよう。これは、ヒトを主体(内界)と環境(外界)の両面からとらえる場合、ピロリ菌は個体として見るならば外界の存在であり、機能から見るならば内界に含まれる存在ということができることになる。
 この場合、ヒトの細胞と共生細菌の関係は、而二不二(ににふに)という関係が成り立っているといえる。

 実は、細胞膜を持たずDNAと核酸のみからなっている(細菌より更に微小な)ウイルスも共生細菌と同様にヒトに付着し、ヒトの健康・病気に関係している。このウイルスの数は細菌を更に上回るのはまちがいない。
  ヒトの体内にある遺伝子の99%はヒトの細胞ではなく共生する微生物のものであるという事実は厳粛に受け止めなければならない。

 共生細菌、そして共生ウイルスまで含めたマイクロバイオームは、正にヒトと而二不二の関係にあるといえる。
 人間としての主体(正報)と人間が存在する外界としての環境(依報)は、単純に二律背反として分離した存在として論ずることは実態とは合わない。やはり依正不二(えしょうふに)という捉え方が実態に即しているということが、ヒトの細胞と共生微生物の関係についてもいえるのではないかと思う。

[参考文献など]
 KOzのエッセイ#019 「不二とは」
「究極のソーシャルネット」Jennifer Ackerman著(日経サイエンス2012.10号)
「個人差を生むマイクロバイオーム」服部正平著(日経サイエンス2012.10号)
「胃腸と脳の意外なつながり」Moheb Constandi著(日経サイエンス2012.10号)
「細菌流の変身の術」(日経サイエンス2014.02号)