024_業
業(ごう)とは


 業(ごう)とは古代インドの思想から発した輪廻転生に関わる概念であり、現在には仏教用語として残っている。宿業(しゅくごう)とか業病(ごうびょう)とかのように日常生活の中でも時折使うが、カルマ(karma)と訳されて世界で更に広く使われている。

 業とは、元々の意味は身口意の三業(しんくいのさんごう)の所作ということであるが、わかりやすく言うと、人間の身体・精神にかかわる全ての行為や働きのことであり、更に現在の行為を因として未来に影響を及ぼす潜在的影響力のことも意味している。

 私の言葉で言えば、業とは「生命に深く刻み込まれた傾向性」、ということになる。
 人間生命に影響を与えるファクター(関係因子)は無数にあり、それらのファクターが単独もしくは複数で絡まり合いながら影響を与えており、その影響を受ける生命も刻々と変化しながら業を形作っていく、とでもいえようか。
 更に、現在の自分の心身にわたる全ての体内・対外の活動や働きや状態は、過去のさまざまな同様の働きや状態が自分の生命に影響を及ぼし例外なく記録され刻み込まれたことによって、それらの影響を受けて結果として顕現されることになる。また、同時に現在の活動・働きが未来の活動・働きに潜在的に影響を与えることになる。

 業とは「生命の個性」とも言えよう。
 業そのものの概念は中立であるが、自分や周囲に悪影響を与える業を悪業ともいい、逆を善業ともいわれる。
 また固定的に未来の果報が定まっている業を定業(じょうごう)といい、定まっていない業を不定業という言い方もある。自分の寿命が定業なのか不定業なのかは極めて気になることではある。

 日常の何気ない行動や発言にもその人の癖や性格が出てくるものであり、その癖や性格はその人の業が顕現している、ということになる。業がその人の一生に大きな影響を及ぼしているということであり、業というものを理解すると業を変えることがいかに困難なことであるかがわかることとなり、その意味で業を変えることができるかどうかは極めて深刻な問題である。定業を不定業へ転換させること、すなわち宿業転換ができるかどうか、これが大問題だ。
 元々、業は三世にわたる輪廻転生の継続的実態として説かれた概念であり、定業にせよ不定業にせよ三世(過去世、現世、来世)にわたってのことであり現世(肉体的に死亡するまでの間)に限定したことではないことは勿論である。