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カエデの分布、なぜ?


 カエデは学名ではAcer(アケル)、植物学的にはカエデ科カエデ属に属する。分類の仕方にもよるが地球上に約160種の野生種があるといわれる。その中で2種の常緑のカエデがあり、日本のクスノハカエデとインドネシアにあるハスカリ(Acer laurinum Hasskari)であるが、その他の種類のカエデは全て紅葉落葉樹である。

 日本で紅葉樹の代表格は「もみじ」であり「紅葉」とう字そのものを当てるほど紅葉樹の代名詞にもなっている。植物分類上ではカエデともみじは区別しないが、日本では園芸や盆栽では区別をしており、葉が五つ以上に深く切れ込んでいる人の手の形のものを「もみじ」と呼び、それ以外(切れ込みが三つのトウカエデ等)をカエデと呼んでいる。
 日本画に描かれるカエデはもみじであり、主にイロハモミジとオオモミジの二つである。
 中国からヒマラヤ地方にかけて約90種のカエデが自生しているが、次いで日本には16種のカエデがある。ヨーロッパ、北アメリカにそれぞれ13種あるが、例えば英国には自生種は1種類しかなく、ドイツ・フランス地域にも4種類しかない。
 カエデの中で「もみじ」は凝縮したように日本列島に偏在している。特に日光国立公園地域は自生するカエデ・もみじの種類の密度が高くなっており、秋の紅葉が美しいといわれる背景となっている。
 もみじは朝鮮半島や台湾、中国、フィリピンにも一部見受けられるが、ヨーロッパのカエデ(ノルウェーカエデ、西洋カジカエデなど)も北アメリカのカエデ(サトウカエデ、アメリカハナノキなど)、中国のカエデ(トウカエデなど)は、日本のもみじとはかなり異なった葉の形状をしている。カナダの国旗にあるサトウカエデの葉を思い浮かべればわかりやすい。
 因みに日本では野生種(原種)だけではなく数百年前から園芸品種の改良が進んでおり数百種類のもみじが鑑賞できる世界的にももみじの中心地となっている。

 カエデは1種を除いて全てが北半球(アジア、ヨーロッパ、北アメリカ)に自生しており、南半球には上述のハスカリ1種のみがインドネシアのジャワ島、スマトラ島、小スンダ諸島の1000~2000mの高地に植生している。いずれも南半球というより赤道直下と言う方が近い。この種は、マレー半島、チモール島、中国海南島やフィリピンにも分布している。

 なぜ、カエデは北半球にしか自生していないのか?
 
 今から2億5千万年前の地球にはパンゲアとよばれる超大陸がひとつしかなかった。やがて2億1千万年前になると、このパンゲア大陸が北のローラシア大と南のゴンドワナに分かれ始めた。
 6千5百万年前になると、南のゴンドワナは、アフリカ大陸、インド大陸、南アメリカ大陸、南極・オーストラリア大陸に分離したが、北のローラシアは、ユーラシア大陸(アジア・ヨーロッパ)と北アメリカ大陸は未だつながった状態にあった。

 現在の植物の主流となっている被子植物にカエデも含まれるが、この被子植物は1億4千万年前かそれより古い時代に裸子植物から分化して進化してきたと言われている。カエデは6千万年前頃から出現し3千万年前前後に著しい分化をとげてきた。
 この6千万年前頃にカエデの祖先は、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸に分離しきっていなかったローラシアに誕生し、ローラシアの域内に植生を広げていった。その後、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸が分離して現在の姿になったことにより、カエデはアジア、ヨーロッパ、北アメリカのいわゆる北半球大陸にのみ残ったことになる。
 それでは、アフリカ大陸、インド大陸、南アメリカ大陸が、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸につながり地理的には南進が可能であったのに、なぜ南進できなかったのであろうか。
 それはどちらかというと温暖な気候を好むカエデが、砂漠や熱帯雨林帯の壁だけではなくアルプスやヒマラヤの障壁に阻まれた、ということであろうか。インドネシアに残った種も熱帯化の進展に伴って涼しい高地に追いやられ、飛び石のように高山に生き残った、ということであろう。また、比較的穏やかであったアジア大陸の氷河期と異なり、南の大陸につながる北アメリカとヨーロッパの氷河期は厳しかったため、この地域では多種のカエデが滅亡したことにも関係しているのであろう。

 人類の遠い祖先である霊長類の出現とカエデの出現はほぼ時期を同じくしており、人類とその亜種の長い歴史とカエデの分布と重ね合わせて考えてみるのも、また興味のあるところではある。

[参照文献]
「日本第百科全書」小学館
「園芸植物大事典」小学館
 Map genus Acer [http://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_genus_Acer.png]