012_将棋盤と駒
将棋の東西


 将棋は紀元前にインドで誕生したチャトランガが源流といわれる。チャトランガは8X8のマス目の盤にそれぞれ5種8個の立像駒を四隅に置いて4人でサイコロを振ってその出た目によって駒を動かすものもあったようだが、西暦300年頃には、サイコロを使わない2人制のチャトランガが主流になったといわれる。
 この2人制チャトランガが形を変えながら、インドから西に伝わりペルシャでシャトランジと名前を変えて栄え、更にロシアや西ヨーロッパに伝えられてチェスやモンゴルのシャタルの原型となった。東にも伝わりタイのマークルックや中国の象棋(シャンチー)更にその派型である朝鮮半島のチャンギなどになっていったといわれる。
 さまざまに変化を遂げた将棋であるが、チェスや象棋(中国将棋)などこれらの将棋に共通していることがある。自分の駒が相手の駒に位置に動くと相手の駒を捕れる(取り除く)ことができること。そしてもう一つ、自分(味方)の駒と相手(敵)の駒の色が違うということである。象棋の場合は、元々敵味方で駒の色を変えていたが、色落ちしたりするなどの理由で敵味方の駒の名前自体を変えることで区別するようになり、色が同じでも区別がつくようになった。
 マス目の数で区別すると、8X8のマス目を使うチェス、シャタル(モンゴル将棋)、マークルック(タイ将棋)(それぞれ1列に8個の駒が置かれる)と、8X8のマス目の交点に駒を置く象棋(中国将棋)やチャンギ(朝鮮将棋)(それぞれ1列に9個の駒が置かれる)に分かれる。面白いことに、8X8のマス目型の場合はチェスに代表されるように駒は立像型となり、どちらかというと源流のチャトランガに近い様相を残している。8X8のマス目交点型の場合は駒は平たい円柱型に文字(漢字)を書いたものになっている。また、チェス型は1列に8駒であるがゆえに中心になる駒は2つ(チェスの場合であればキング[王]とマントゥリ[宰相]後にクイーン[女王])となり、象棋型であれば中心駒(象棋であれば「師」と「将」)は1つとなっている。

 さて、日本の将棋はどうなっているかというと、実に大きな変容を遂げている。西暦600年頃に中国から立像型の原将棋が持ち込まれたとされている。その後、36枚(駒)の平安将棋、68枚の平安大将棋、などにさまざまに試行錯誤と改良がなされ、更に1000年頃には相手から捕った駒を再使用できるルールが誕生した。130枚の大将棋、92枚の中将棋なども経て、13世紀には40枚(味方3列20駒、相手3列20駒)の駒を使う現在に形ができあがってきた。
 棋盤は9X9のマス目を使う。これは1列に9駒で象棋と同じであるが、交点に置くのではなくチェスやマークルックなどと同様にマス目に駒を置く。駒は色や文字で敵味方を区別することはせず、自分の駒も相手の駒も全く同じ色形となっている。駒も木製の五角形舟型をしており指しやすくするために前方が薄くなるように上面に傾斜が付いている。裏返しもできる。駒は文字と大きさで種類を区別している。
 「成り」が発明され、相手方の3列に入ると動き方を変える選択権が生ずる。(象棋でも相手側の陣地にはいると動きを変えることができるのは将棋の「成り」と似ているが逆戻りができるようにはならない点が異なっている。)
 また、全ての駒が全盤上を動けるのはチェスと同様である。(象棋・チャンギでは中核駒は九宮と呼ばれる中央3X3の中でしか動けず敵方陣地にも入れない。)
 日本将棋の他に無い特徴は、持ち駒の再使用(捕った相手の駒を自分の駒として使える)と「成り」(相手陣地入りで機能が拡大する)にある。これが故に、日本将棋は他の将棋・チェスと比べて極度に複雑なゲームとなっている。

 将棋はインドで発明され、日本に到達して「独自」の進化を遂げた。これは、将棋についてだけ言えることなのであろうか。