#037 池田創価学会の宗門離脱経緯

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池田創価学会の宗門離脱経緯


 創価学会は日蓮正宗の信徒団体として、1952年(昭和27年)8月に東京都知事の(信徒団体という特殊形態のため)例外的措置をもって宗教法人の認証を受け同年9月に設立登記された。
 その際、創価学会は宗門(日蓮正宗総本山大石寺)に対し、1. 折伏した人は日蓮正宗の信徒として末寺に所属させること。2. 日蓮正宗の教義を守ること。3. 日蓮正宗の三宝(仏宝、法宝、僧宝)を守ること。の三原則と宗門外護を遵守することを独自法人設立の条件として受諾し確約した。

 1958年(昭和33年)4月、創価学会第二代会長戸田城聖が他界し、2年後の1960年(昭和35年)5月、第三代会長に池田大作が就任した。
 池田は会長就任前より「天下を取る」と側近などに吹聴していたが、正本堂の建設(総本山大石寺内に1972年10月完成)に際して予想以上の集金能力を眼前に見た頃から、これが断固たる方針に変わっていったと思われる。
 創価学会が正本堂建設御供養の集金窓口になり推進を図った結果、1965年10月の集金時に宗門僧俗の分も含め約355億円の御供養が集まったと報告されている。当初30億円を目標に建設資金を集めようと考えていたようで、この11倍以上の資金が確保されたことになる。
 実際にはこれとは別に、海外信徒などからの御供養金があったはずであり、また正本堂完成までの金利収入等[当時年率6~8%以上]が約130億円があったとされる。
 本来であれば、全ての御供養金が創価学会から宗門に渡された上で、建設に必要な資金に費やされるべきであったと思われるが、実際には全ての収入(御供養及び利息等)は創価学会の手元に置かれ建設時期にあわせて創価学会から建設会社に支払う形が採られた。
 このため全体の収入(約500億円)に対し支出は、直接正本堂の建設に関わる必要資金はごく一部であり、その他のほとんどが創価学会関連施設の建設費や創価学会また創価大学の運営資金に回されたとされている。
 池田の「天下取り」の野望は、行き着くところ「総体革命」の成就であり、国内外の全社会権力分野で創価学会員(エリート学会員)が主導権を握り、結果として(池田が全ての内部権力を維持した)創価学会が国家権力を握る、構想に置かれており、そのために政治分野では公明党、教育分野では創価大学・創価学園など、行政分野では外務官僚を含む国家公務員(総合職/旧上級職)、司法界には裁判官、弁護士など、文化活動では民音(民主音楽協会)の設立と並行して芸能、スポーツ分野での創価学会メンバーの支援、地方自治体では公明党と密接にタイアップした公務員・警察官・教職員の配置、民間企業での社員連携組織の拡充、町会や団地組合などでの主導権の確保、新聞・テレビなどのマスメディアでの幹部要員の潜行、等々、実に幅広い分野にわたって池田「天下取り」構想の網の目が張られていった。

 「総体革命」はある意味では創価学会内部の人材育成と資金確保が長期間継続できるのであれば不可能ではない目標ではあったはずであるが、この池田構想にとって最大の障壁が「宗門」との力関係であった。なぜなら、学会員(創価学会信徒)にとって創価学会は本質的には(政治団体でも文化団体でも教育団体でもなく)宗教団体として存在意義があり、その宗教は日蓮正宗に位置づけられている。このため日蓮正宗の僧侶が厳護するところの「本尊」と「教義」によって創価学会員の信仰生活が保証されている実態があり、この本尊と教義が池田の自由にならない足かせとなっていた。
 すなわち、池田「天下取り」構想とは「総体革命」の推進と同時に前提として、本尊と教義を自分の自由にすることが是が非でも必要なことであったと思われる。すなわち、宗門からの独立、もしくはうまくいけば宗門を創価学会の宗務部門として下部組織として位置づけることができれば、という思惑であった。

 池田がまず実施したのが本尊を自分の裁量で「つくる」ことであった。具体的には、専属の仏具店に指示して、創価学会本部安置広宣流布大願成就御本尊、池田大作授与の御守本尊、など総本山より下付された八体の紙幅の御本尊を、模刻させ板本尊を制作させた。
 日蓮正宗においては御本尊の書写は板本尊の木刻を含めて当代の御法主上人の専権専能であり、信徒が勝手に行うことが許されてはいないことであるが、池田が初めてこの禁を侵した。模刻板本尊八体の内、一体(学会本部常住本尊)は御法主上人の事後承認(允可)、七体については無承認で行われた。
 これらの本尊模刻は1978年(昭和53年)1月に発覚し、最終的には当代日達上人の指示で9月に総本山に収納されたが、後日収納された板本尊の基部から制作日が発見され1974年(昭和49年)4月には既に彫刻完了していたことが判明した。
 
 次に池田が実施したのが教義の改変であった。日蓮正宗の教義を証する文献を変えることは難しいが、その解釈を独自のものに変えることにより、宗門を不要にして創価学会を主体者とすべく理論構築を進めた。
 1977年(昭和52年)1月、「仏法史観を語る」と題した池田会長講演が第9回教学部大会にてなされた。人間のためこそが仏法の根本精神であるとして、権威主義化した寺院は不要であり創価学会こそが僧俗にわたる役割を果たしている、また、創価学会は御本仏(日蓮大聖人)に直結した実践をしている、との「直結思想」による宗門・僧侶・寺院不要論を発表した。
 更に、池田会長「生死一大事血脈抄」講義が、同年4月下旬に6回にわたって聖教新聞(創価学会機関紙)に掲載された。この講義は、1月の会長講義と並びその後創価学会の独自教学の基盤となったと思われ、その解釈改変の方法論(創価学会員を洗脳する方法)もその後の創価学会の新理論構築の基礎にもなっていると思われるため、少し詳しく見てみたい。
 生死一大事血脈抄はその題号にあるように血脈(けちみゃく)の重大事についての御抄で、創価学会としてもこの御書の解釈を避けて独自教学を構築することは不可能な、その意味でも重要な御書といえる。
 従来、宗学(日蓮正宗の基本宗義)によれば、血脈には法体の血脈と信心の血脈の両面があり、いずれの血脈を論ずる際にも三宝(仏宝・法宝・僧宝)全てが直接間接に血脈に含まれているため、日蓮正宗が相続厳持している法本尊(人法一箇の戒壇の大御本尊)、僧宝(唯授一人の法燈相続の歴代法主)を抜きにしては論ずることができないとされていた。
 このためこの会長講義では何をしたかと言うと、信心の血脈を重視し、宗祖と自分、宗祖と創価学会という直結思想を構築し、この生死一大事血脈抄の主張こそがこの直結思想である、との独自新解釈を主張している。

 「池田会長生死一大事血脈抄講義」は、全文で67,912文字からなっている。この文字群に含まれている主要語句を以下列記してみる。(多用されている順)
  「生命」213個、「生死」188個、「血脈」132個、
  「大聖人」124個、「仏法」100個、「日蓮」83個、
  「人間」76個、「信心」70個、「師」65個、
  「先生」55個、「本尊」67個、「学会」48個、
  「衆生」41個、「異体同心」32個、「革命」23個。
 逆に、使われていない語句、もしくは異常に少ない語句を下記する。
  「法主」1個、「唯授一人」1個、「猊下」0個、
  「三宝」0個、「僧宝」0個、「血脈付属」0個、
  「僧俗」0個、「法体の血脈」0個、「総本山」0個、
  「大石寺」0個、「相続」0個。
  なお、「法主」が一カ所使われているが、これは血脈とは関係ない御本尊書写についての部分で使われており、血脈については日興上人以来の御歴代上人に関連づけての部分は皆無となっている。また、御法主上人のみに受け継がれる法体の血脈については記述が一切無い。
 以上のように、この講義は非常に偏った言葉の使い方をしていることがわかる。要は、「宗門」に関わる言葉を一切使わずにこの御抄の講義を完結させている。
 なお、この「会長」講義は、当時創価学会の教学部長であった原島崇が代筆したことが、同氏の脱会後判明している。

 1977年1月に開始された創価学会の宗門批判、宗門攻撃は学会独自の経本の発行、登山の禁止、学会施設での冠婚葬祭の開始など一連の独立の動きを総じて後日、創価学会の「52年路線」と呼ばれるが、翌年の本尊模刻発覚により多数の会員が脱会し宗門の直轄壇信徒組織である法華講に移講したため挫折した。
 翌年1978年11月に池田会長など二千人の学会幹部が総本山に登山し、本尊模刻を初めとする教義逸脱を謝罪した(「おわび登山」)。また、その翌年1979年4月に池田は創価学会会長を引責辞任した(新設の名誉会長に就任)。

 この52年路線は創価学会の日蓮正宗からのの第一次離脱行動であり、その後1991年(平成3年)に聖教新聞紙上で宗門批判を再開して、第二次離脱行動がとられた。この結果、同年11月に創価学会は宗門から破門され、更に翌1992年8月に池田が日蓮正宗から信徒除名処分に付された。結果として破門により創価学会は宗門からの離脱が強制完了したことになる。
 この第二次離反行動においても、やはり本尊(独自本尊の配布)と教義(直結思想を基盤)において、第一次離脱行動の時と同様の理由により、同様の行動が更に徹底して実施された。

 以上、要処要処を切り出して述べてきたが、創価学会が日蓮正宗から離脱した経緯は、創価学会の主体主義が色濃く反映した結果であると思える。

(本文に於いては煩雑になるため氏名敬称は省略している)

[参照文献]
「生死一大事血脈抄の池田会長講義」(聖教新聞社)
「御本尊模刻の大謗法」菅野慈雲著(大日蓮 平成5月11月号)
「生死一大事血脈抄」(平成新編日蓮大聖人御書 大石寺版 513頁)
「創価学会の偽造本尊義を破す」日蓮正宗宗務院(大日蓮編集室)
「創価学会の仏法破壊の邪義を粉砕す」日蓮正宗宗務院(大日蓮編集室)
「創価学会の新理論とその本質」日蓮正宗法義研鑽委員会(法華講連合会)
「創価学会版勤行要典(御祈念文)」の改訂版、再改訂版
 他。