#049 ロシアと北方四島

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ロシアと北方四島


(1)北方四島の占領経緯
 日本は1945年8月14日に、第13条の全日本軍の無条件降伏の内容を含む全13条のポツダム宣言を受諾し太平洋戦争は終結した。
 このポツダム宣言は、ハリー・S・トルーマン(米国大統領)、ウィンストン・チャーチル(英国首相)、蒋介石(中華民国主席)の三名の共同声明として発表されている。日本政府は2日後の8月16日に全日本軍に対して停戦命令を発令した。
 ヨシフ・スターリン(ソ連書記長)は8月8日にポツダム宣言への参加を表明し、同時に日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告を行い、終戦直前の8月11日に日本国境を侵犯して南樺太に侵攻し25日に占領した。
 更に、日本のポツダム宣言受諾後の8月18日から、ソ連軍は1875年以降日本領となっていた千島列島最北端の占守島に侵攻し日本軍との戦闘に入り、日本軍は戦闘有利な状況下、戦闘停止命令に基づき武装解除に応じた。これらの日本兵は本国帰還とされず理不尽にもシベリアに抑留された。この占守島の戦いが千島列島における日ソ軍間の唯一最後の戦闘となった。ソ連軍は千島列島の確保を進め8月31日までにウルップ島以北の千島列島を占領し、更に南進し9月1日までに択捉(エトロフ)・国後(クナシリ)・色丹(シコタン)島を、9月5日までに歯舞(ハボマイ)群島を占領した。
 千島列島には含まれない(日本の現在の主張)とされる国後島、択捉島と北海道の一部とされる歯舞群島と色丹島を併せて北方四島と呼んでいる。

 1941年に締結された双方の領土の保全と相互不可侵をさだめた日ソ中立条約は、5年間の有効期間、満了1年前までの廃棄通告がない場合の5年間の自動延長、との内容を含んでいる。
 ソ連はドイツ降伏が目前となった1945年4月5日に、日ソ中立条約の破棄を日本に通告した。これによりこの条約は1946年4月25日に失効することになった。従ってソ連が(満州・南樺太と)千島列島と北方四島を占領したのは、この不可侵条約の有効期間内に行った違反行為となる。
 日本に対する条約違反は事実としては残るが、ソ連の参戦が米国の広島・長崎への原爆投下と共に日本の無条件降伏を強いただめ押しの要因となった事実があり、また主要戦勝国として南樺太と千島列島を獲得したソ連の強い立場が現実としてある。

 ちなみに、ソ連は北方四島の占領後、更に北海道東北部の占領を要求したが米国に拒否され、ソ連軍の侵略は北方四島で停止した。
 9月2日、日本政府は東京湾に停泊の米戦艦ミズーリ艦上で連合国が作成した降伏文書に調印した。ソ連はこの前日までに(歯舞群島を除く)北方三島を占領下においたことを正当化するためか、この9月2日を終戦記念日としている。

 以上が北方四島がソ連に占拠されたおおよその経緯であるが、ソ連崩壊後もロシアが現在に到るまで北方四島の実効支配を継続していており、領土問題が未解決のままとなっている。

(2)日ソ共同宣言
 長大な国境線を抱えるロシアは、中国とは1964年から30カ所を超える地域での国境画定の交渉を開始し40年を経て2004年10月に最後の帰属未決地であったアムール・ウスリー両川の合流点にある3島の国境画定に合意した。
 また、2013年10月にはロシアはエストニアと未定であった国境画定に到った。
 これによりロシアが国境で未解決とするのは、日本との北方四島のみとなった。

 1956年12月7日に日ソ共同宣言の批准書を交換し同日発効したが、その共同宣言には、日ソ平和条約の締結後に歯舞群島・色丹島(二島)をソ連が日本に引き渡すことが記載されている。
 北方四島の全面返還を求める日本と、二島返還で決着しようとするソ連との妥協が見いだせないことにより、現在に到るまで北方四島の問題は解決せず、このため日ソ平和条約の締結も実現していない。

(3)ロシアの安全保障上の立場
 ロシアは帝政ロシアの時代から大洋への窓口となる不凍港を求める地勢的な願望と動機が強く働いてきた国である。西のバルト海、黒海(地中海)と並んで東では太平洋とつながるオホーツク海、日本海、東シナ海に面した不凍港の確保が常に歴史的に戦略的な動きの背景にあった。北の北極海に不凍港が無いことによる宿命的な動機である。

 現在、ロシア太平洋艦隊の司令部が置かれるウラジオストクは日本海に望む良港であり一年を通じて凍結することのないロシアにとって極めて重要な軍港となっている。
 日ロ戦争の際、黄海海戦や旅順攻囲戦により日本軍により壊滅させられた太平洋艦隊に代わり、ロシア最強のバルト海艦隊(バルチック艦隊)をわざわざヨーロッパから遠路移動させたのもこのウラジオストクの不凍港を守るためであった。
 現在ロシアはこの地域に幾つかの海軍港を置いている。ウラジオストクが最大拠点であるが、サハリン(樺太)南端のコルサコフ、北サハリン対岸のソヴィエツカヤ・ガヴァニ、オホーツク海に面したマガダン、そしてカムチャッカ半島南部の太平洋岸にあるペトロパブロフスク・カムチャッキーである。この内、不凍港はウラジオストクとペトロパブロフスク・カムチャッキーのみである。ペトロパブロフスク・カムチャッキーは北太平洋に直接面している不凍港ではあるが、シベリアからの陸路も鉄道もつながっていない陸の孤島であり機能的な軍港とはなっていない。従ってウラジオストクが唯一ともいえる不凍軍港であることは昔も今も変わっていない。

 ロシアの東岸が太平洋につながっていると言っても、実際には日本海とオホーツク海が間に横たわっており、日本海は日本列島が、オホーツク海は千島列島が太平洋を遮っている。モスクワから見ると極めて閉塞感にさいなまれる地勢図となっている。

 ウラジオストクのロシア太平洋艦隊が南から太平洋に出ようとすると、対馬沖を通って琉球列島の間を通らなければ出られない。最短距離は本州と北海道の間の津軽海峡であるが、このルートもやはり日本の領海の中を通ることになってしまう。自分の領海を通って太平洋に出られるのは唯一、まずオホーツク海に出て千島列島の間を通過するしか方法がない。千島列島の島々の間を通れば容易に太平洋に出られるようにみえるが、オホーツク海をスープ皿に例えると千島列島は皿の縁であり浅くなっているため、冬でも凍結しないルートは実際には二つしかない。択捉水道(北方四島北端の択捉島と北千島南端のウルップ島との間)と国後水道(北方四島の国後島と択捉島の間)であり、特に択捉水道は幅約40km、水深が1300mと深く商業船にとっても原潜を含む海軍艦艇にとっても交通の要衝となっている。
 オホーツク海は冬になるとシベリア上空の高気圧から寒冷気流が流れ込み、世界の製氷工場と称されるほどの大量の海氷が発生する。このため浅いオホーツク海は海底近くにまで氷が重なり凍結してしまう状態となる。冬は砕氷船無くしては動きがとれず、潜水艦の行動も極端に制限されることになる。

 もし北方四島が日本の領土となってしまうと、冬期のオホーツク海から太平洋への航路は津軽海峡同様に日本に首根っこを押さえられてしまうことになってしまう。言い換えると、ロシア太平洋艦隊が仮想敵国である米国と対峙する主戦場でもある太平洋に出入りする行動が全て日本の監視下に置かれてしまうことになる。これがロシア海軍にとって安全保障上の最大の障害となる。

(4)日ロ平和条約の締結に向けて
 ロシアの安全保障上の観点からは、択捉島を日本に渡すことはオホーツク海全体を日本の手中に渡すのと同じ意味となる程の天元であり、危機的な判断が働いていると推測される。
 ロシアにとって二島返還と四島返還の違いはこの一点に集約されると思われる。
 これがロシアにとっても戦略的に最大価値があるはずの日ロ平和条約の締結を犠牲にしてでも受け入れることのできない理由であろう。
 シベリア・極東地域の経済発展とその結果としての人口増がロシアに最大価値をもたらす戦略的判断であることは間違い無い。その根底には人口のダムを擁する中国との経済協力は極力限定的にせざるを得ない安全保障上の力学が働いており、日本との経済・産業全般にわたる相互協力が絶対不可欠であるとの認識になっていると思われる。それ故、ロシアは日ロ平和条約の(早期)締結が不可欠・不可避であるとの判断に達していると判断される。

 従って、もし日本が択捉島の返還を求めないのであれば、ロシアは必ず妥協に応ずると思われる。国後島については、議論の余地があると推察する。
 日本にとっても不毛な日ロ関係を長引かせるメリットは無いはずである。ロシアはエネルギー問題を解決できる強力なパートナーとなりうるだけではなく、工鉱業、農林水産業、科学技術、宇宙開発、海洋開発、等々幅広い産業分野で相互利益を拡大できる可能性を持っている隣国であろう。
 尚、日ロ平和条約が締結できるのであれば、軍事的にも日ロ間の対立と緊張は解消できるはずであり、そうであるならば遡って、集団的自衛権の敵対の可能性からロシアをまず外すことを表明しないかぎり、集団的自衛権の憲法拡大解釈もしくは改憲をすべきではないと思う。日米安保に集団的自衛権を導入する場合でも、ロシアを対象から外すことを明確にすることが重要と思われる。

 北方四島に関わる国境画定交渉を成功させ、日ロ平和条約を早期締結することが、日本にとっても優先すべき戦略的判断であると確信している。